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歴史の隙間に埋もれた漂泊の芸能者たちの実像を追いかけています
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表記と読みが諸説あり、名称からして曖昧模糊としている声聞師(唱門師/唱聞師)。
なぜ彼らが気になるかといえば、旅芸人の周辺を調べようとすると、ちょいちょい出てくる言葉だからです。それでちょっと調べ始めたのですが、どうにも正体がつかめません。
確かなのは、それが職業を表す言葉だということ。
そして中世から近世にかけて、西日本を中心に、一定の活躍をした者たちであるということです。
  
では、どんな仕事だったのか。
同じ「師」の付く「万歳師(漫才師の先祖)」のように、「“しょうもん”という芸をする人」だった……というわけではないようです。
ならば具体的にどんなことをしていたかというと、これが多岐にわたり、時代によっても微妙に変化しています。
一言で表せば「民間陰陽師の一種」となるでしょう。

「陰陽師」は夢枕漠さんの小説と、それを原作とした映画によって、一気にメジャーになりました。
陰陽師が平安時代の役人であったことも周知の事実でしょう。しかし明治初期に陰陽寮が廃止されてから昭和までの間、実は陰陽師は世間から忘れられた存在でした。それが平成になって復活するのですから不思議です。
ところが声聞師は、陰陽師が一大ブームとなったの後も日の目を見ることはありませんでした。人気者になったのは安倍晴明に代表される「公務員」の陰陽師だったのです。
彼らを「官人陰陽師」とすると、声聞師は「民間陰陽師」または「下級陰陽師」となります。さらに「官人…」の代表を安倍晴明とすると、「民間…」の代表は蘆屋道満ということができます。
つまりモグリのあやしい陰陽師かといえば、そうではないようです。

声聞師についての記録が多く残るのは、室町時代のことです。
それらによれば声聞師は、正月には禁裏に呼ばれ、貴族の前で万歳や曲舞などの芸能を披露したそうです。土御門家ともつながりがありました。
かといって、宮中のお抱え芸人が本職ではないようです。
声聞師の身分は低く差別的な扱いを受けることもあったのです。

複雑な立場にある声聞師の仕事を、ひとまず手元にある史料をもとに、私なりに整理してみると、下記の三つの柱に分類することができました。
 
[1]
民間陰陽師として占い・祈祷・呪術・読経などを行う。
儀式の一環として千秋万歳や曲舞などの芸能も行う。
その芸能は御所や貴族の邸宅で披露された。
(江戸時代には、庶民の家で門付芸を見せるようになる)

[2]
大きな寺に隷属して、警固・掃除・土木工事などに従事する。
奈良の興福寺などに奉仕していた。

[3]
傘下においた雑芸能者たちを管理する。
雑芸能者とは「七道者」とも呼ばれる下層の芸人たち。
七道者の内容は固定しておらず、たとえば興福寺の大乗院の記録(寛正四年/1463年)では、「猿楽・アルキ白拍子・アルキ御子(巫女)・金タタキ・鉢タタキ・アルキ横行・猿飼」があげられている。
また史料によっては、散所に集まる芸能民の総称を、声聞師とするものもある。

角度を変えて再び一言でまとめると、声聞師は「宗教者であり労働者であり芸能者」ともいえるかもしれません。
また「貴族と比べれば身分はかなり低いが、必ずしも最下層ではない」ともいえそうです。
そして専業ではないにしろ、彼らにとって芸能が重要な仕事の一つだったことは明らかです。



主な参考資料:
世界人権問題研究センター編『散所・声聞師・舞々の研究』(思文閣出版)
海野弘 『秘密結社の日本史』(平凡社新書)
沖浦和光『陰陽師の原像 民衆文化の辺界を歩く』(岩波書店)
沖浦和光 『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』(文春新書)
沖浦和光 『日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能』(文春文庫)
柳田國男『唱門師の話』(ちくま文庫・『柳田國男全集11』より)
宮本常一『生きていく民俗』(河出文庫)
小沢昭一 『ものがたり 芸能と社会』(白水社)
三隅治雄『さすらい人の芸能史』(NHKブックス)
武田正 『昔話の発見―日本昔話入門―』(岩田書店)
   


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