FC2ブログ
歴史の隙間に埋もれた漂泊の芸能者たちの実像を追いかけています
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本人の誰もが知る昔話のひとつ、『浦島太郎』について語られる時、よく言われるのが「この話の教訓は何なんだ!」です。

亀を助けた浦島太郎が、竜宮城に行くまではよかったが、ふるさとに帰るとそこは数百年経っていて家族も友人もいない。おまけに最後は一瞬のうちに白髪でよぼよぼの老人になってしまう。
玉手箱を開けるなという乙姫との約束を破ったとはいえ、あまりに理不尽です。亀助けたのに。

他にもブラックでナンセンスな昔話は案外あって、
「この話から何を読み取れというんだ!」「教訓は何なんだ!」
という訴えが聞こえることがあります。

あくまでも私見ですが……そんな疑問に対する答えは「昔話に教訓があるとは限らない!」です。

辞書によれば「教訓」とは、人として進むべき道であり、それを教えさとすことです。
昔話は基本的に子どもに語りかけるものですから、そんな「教え」が盛り込まれた話も、たくさんあったでしょう。
勤勉に働くこと、人に親切にすること、礼儀やしきたり――。
でも、そればかりじゃなかったと思うんです。ただただ子どもを面白がらせるため、あるいは大人の仕事の邪魔をしないよう気をひくため、寝かしつけるために語られた昔話も、数多くあったのではないでしょうか。

では、なぜ多くの人が昔話から教訓を読み取ろうとするのか?
そこには仏教と教科書が、大きく関係していると私は考えています。

現在、昔話として親しまれている物語には、もとは仏教説話だったものも多く含まれています。
仏教説話とは、仏教の思想や信仰が盛り込まれたお話のこと。仏の奇跡・高僧伝・因果応報の理などが描かれています。こういった物語には“教訓”が含まれるわけです。
これらはお寺でお坊さんが、“面白おかしい話”や“泣ける話”の形にして、人々にわかりやすく伝えていました。また口伝えだけでなく、『今昔物語集』『日本霊異記』『沙石集』などの書物にも、仏教説話は記されています。
そうして民間に浸透した仏教説話は、今はざっくり昔話のカテゴリーに含まれることが多いようです。

そしてもうひとつは教科書。
明治時代以降の国語の教科書には、昔話も掲載されました。教科書は当然ながら“教訓”のかたまりです。その時代の大人が子どもに求める理想が盛り込まれています。
代表的なのは『桃太郎』でしょう。『浦島太郎』も、亀がいじめられ太郎が助けるエピソードは、明治時代に付け加えられ教科書を通して広まったそうです。

このような流れで、近代になるほど、「昔話には教訓があるのが当たり前」という意識が根づいていったのではないでしょうか。庶民の娯楽だった浮世絵や歌舞伎が、今では高尚な芸術として扱われがちなこととも通じるかもしれません。

私は、昔話は娯楽の一つと捉えています。漫画やアニメに近い存在であろうと。
とどのつまり、お話なんてものは面白ければいい! と思うんです。
楽しい話も悲しい話もトラウマが残りそうな話も、ためになるかどうかは、その人次第。
教訓は置いといて、物語の世界を楽しみましょう。



にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 民俗・民族学へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。