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歴史の隙間に埋もれた漂泊の芸能者たちの実像を追いかけています
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今年のアカデミー賞(アメリカ)のノミネートが出そろいました。
日本としては『君の名は。』が長編アニメ-ション部門に選ばれず、残念でありました。
しかし、その代わりというわけでは全くないのですが、日本を舞台にしたアニメ『Kubo and tha Two Strings』がノミネートされました。さらに日本公開も決定したそうです。

ストーリーは“中世の日本で繰り広げられる血湧き肉躍る冒険活劇”といったもので、桃太郎など昔話の影響が感じられる内容のようです。
あらすじを見た限りではなかなか面白そうですし、これがアメリカの制作会社で作られたということ自体も面白いです。

ただし不安も浮かびます。ハリウッド映画で描かれる「日本」の姿は、日本人からすれば違和感あふれる勘違いな描写が多かったりしますから。
ですが『Kubo and tha Two Strings』においては、そこは心配なさそうです。
すでに映画を観た日本人の話によれば、スタッフは日本の文化を丁寧に調べ上げ、時代考証も綿密に行っているらしく、その辺はストレスなく観られるらしいです。(むしろ日本制作の時代劇より時代考証がしかっりしているかも、なんて意見も見かけました)

そんなこんなで期待値が上がる私ですが、なかでも個人的に注目しているのは、主人公のキャラクター設定です。
公開されている予告編で目を引かれたのは、主人公の少年KUBO(クボ or クーボ)が三味線を背負っている絵でした。

こんなブログなぞやってる人間ですから、昔の日本が舞台で三味線を背負っていると聞いたら、
こりゃ琵琶法師や座頭や瞽女に代表される、語り物の芸人をモデルにしたのか? やるなアメリカ人!
などと安直に考えてしまいます。まあ、我ながら先走りのお門違いな発想だろうなとも思ってます。
しかしながら、ネットニュース等のなかには、主人公を「吟遊詩人」と表している文もありますので、当たらずとも遠からず……かもしれません。

ちなみに「魔法の三味線で折り紙を操る」(あるいは主人公に特殊能力がある)という設定もあるようです。しゃべる猿(声:シャーリーズ・セロン)とカブトムシ戦士(声:マシュー・マコノヒー)も出てきます。
そんな荒唐無稽さも含めて、公開が楽しみです。



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【2017/01/27 13:53】 | 映画
|
表記と読みが諸説あり、名称からして曖昧模糊としている声聞師(唱門師/唱聞師)。
なぜ彼らが気になるかといえば、旅芸人の周辺を調べようとすると、ちょいちょい出てくる言葉だからです。それでちょっと調べ始めたのですが、どうにも正体がつかめません。
確かなのは、それが職業を表す言葉だということ。
そして中世から近世にかけて、西日本を中心に、一定の活躍をした者たちであるということです。
  
では、どんな仕事だったのか。
同じ「師」の付く「万歳師(漫才師の先祖)」のように、「“しょうもん”という芸をする人」だった……というわけではないようです。
ならば具体的にどんなことをしていたかというと、これが多岐にわたり、時代によっても微妙に変化しています。
一言で表せば「民間陰陽師の一種」となるでしょう。

「陰陽師」は夢枕漠さんの小説と、それを原作とした映画によって、一気にメジャーになりました。
陰陽師が平安時代の役人であったことも周知の事実でしょう。しかし明治初期に陰陽寮が廃止されてから昭和までの間、実は陰陽師は世間から忘れられた存在でした。それが平成になって復活するのですから不思議です。
ところが声聞師は、陰陽師が一大ブームとなったの後も日の目を見ることはありませんでした。人気者になったのは安倍晴明に代表される「公務員」の陰陽師だったのです。
彼らを「官人陰陽師」とすると、声聞師は「民間陰陽師」または「下級陰陽師」となります。さらに「官人…」の代表を安倍晴明とすると、「民間…」の代表は蘆屋道満ということができます。
つまりモグリのあやしい陰陽師かといえば、そうではないようです。

声聞師についての記録が多く残るのは、室町時代のことです。
それらによれば声聞師は、正月には禁裏に呼ばれ、貴族の前で万歳や曲舞などの芸能を披露したそうです。土御門家ともつながりがありました。
かといって、宮中のお抱え芸人が本職ではないようです。
声聞師の身分は低く差別的な扱いを受けることもあったのです。

複雑な立場にある声聞師の仕事を、ひとまず手元にある史料をもとに、私なりに整理してみると、下記の三つの柱に分類することができました。
 
[1]
民間陰陽師として占い・祈祷・呪術・読経などを行う。
儀式の一環として千秋万歳や曲舞などの芸能も行う。
その芸能は御所や貴族の邸宅で披露された。
(江戸時代には、庶民の家で門付芸を見せるようになる)

[2]
大きな寺に隷属して、警固・掃除・土木工事などに従事する。
奈良の興福寺などに奉仕していた。

[3]
傘下においた雑芸能者たちを管理する。
雑芸能者とは「七道者」とも呼ばれる下層の芸人たち。
七道者の内容は固定しておらず、たとえば興福寺の大乗院の記録(寛正四年/1463年)では、「猿楽・アルキ白拍子・アルキ御子(巫女)・金タタキ・鉢タタキ・アルキ横行・猿飼」があげられている。
また史料によっては、散所に集まる芸能民の総称を、声聞師とするものもある。

角度を変えて再び一言でまとめると、声聞師は「宗教者であり労働者であり芸能者」ともいえるかもしれません。
また「貴族と比べれば身分はかなり低いが、必ずしも最下層ではない」ともいえそうです。
そして専業ではないにしろ、彼らにとって芸能が重要な仕事の一つだったことは明らかです。



主な参考資料:
世界人権問題研究センター編『散所・声聞師・舞々の研究』(思文閣出版)
海野弘 『秘密結社の日本史』(平凡社新書)
沖浦和光『陰陽師の原像 民衆文化の辺界を歩く』(岩波書店)
沖浦和光 『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』(文春新書)
沖浦和光 『日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能』(文春文庫)
柳田國男『唱門師の話』(ちくま文庫・『柳田國男全集11』より)
宮本常一『生きていく民俗』(河出文庫)
小沢昭一 『ものがたり 芸能と社会』(白水社)
三隅治雄『さすらい人の芸能史』(NHKブックス)
武田正 『昔話の発見―日本昔話入門―』(岩田書店)
   



鏡開きも終わったところですが、正月の話をとりとめなく。

この年末年始に放送されたテレビ番組で、正月にまつわる豆知識がいくつか紹介されました。
その中で私が一番気になったのは、
『初夢に見ると縁起がいいとされる「一富士ニ鷹三茄子」に続く言葉は何か?』
…というもの。その答えは「四扇五煙六座頭」でした。
ただしこれは地域によっていろいろなパターンがあるようですが、その中で比較的有名なバージョンが「扇・煙・座頭」らしいです。

扇は末広がり、煙は上昇する、だから縁起がいい。
で、六番目になぜ座頭かといえば、「座頭には毛がない → 怪我ない」というシャレで、つまり家内安全ということ。日本人が好きな言葉遊びですね。

恥ずかしながら初耳でした。
そして気になったのは、なぜここで座頭が出てくるかということです。
同じ坊主頭なら僧侶や医者もいるだろうに、座頭があがってくる。
それはきっと、かつての日本人にとって座頭は親しみを感じる存在だったからではないでしょうか。そのことが興味深く感じたのです。

そもそも座頭とは、室町時代から江戸時代にかけて存在した、男性盲人の組織「当道座(とうどうざ)」における階級のひとつでした。
「検校(けんぎょう)」「別当(べっとう)」「匂当(こうとう)」「座頭(ざとう)」の四つがあって、座頭は一番低い位だそうです。
『平家物語』(平曲)を語る琵琶法師から始まったということで、当道座に所属する者たちは僧の姿、つまり坊主頭であったと考えられます。
江戸時代には平曲の人気は下火になりましたが、当道座の者たちは三味線・琴・鼓弓などに手を伸ばし、芸の幅を広げたようです。また按摩や針灸を職業とする者も多く、さらに金融業に関わる者も出てきました。
「座頭」と呼ばれる存在は、市井の人々の近くに息づいていました。
それは都市に限ったものではなく、山村漁村でも同様であったと考えられます。琵琶や三味線を持って語り芸を見せる芸人として、あるいは按摩さんとして、各地を旅歩く座頭が多くいたからです。

「ザトウクジラ」の由来は、琵琶を背負った座頭に姿が似ているからといわれています。「座頭鯨」なのです。
また昔話にも、座頭が登場する物語があるようです。テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』においても「狐の嫁取り」「座頭の木」という話に座頭が登場します。
座頭といえば忘れちゃいけない映画『座頭市』の主人公・市は盲目の侠客です。そして『座頭市』は子母沢寛が1948年に書いた短編小説が原作であり、「座頭の市」には実在のモデルがいたそうです。
こうしたエピソードからも、座頭が身近な存在だったことがうかがえます。

僧の姿をした盲目の芸人の中には、座に所属しないフリー芸人もいたかもしれません。しかしそんな者たちもまとめて「座頭」と呼ばれていたようです。
以下は想像を含む話です。
四つの位のなかで一番低い座頭は平社員のようなもので、要するに数が一番多く、庶民とふれあうこと事も多かったのではないでしょうか。
だからこそ人々の間で座頭の名が浸透していき、当道座とは関係ない場合でもそう呼ばれるようになった気がします。僧形であり盲目である者の総称のようになったのです。

中世から近世にかけての日本には、すべて把握するのは不可能なほど多種多様な芸能者が生きてました。しかし彼らは文明開花の後、衰退し、世間から忘れられていきます。当道座も明治初期に廃止されました。
こうした状況のなかで座頭は、『座頭市』という作品の偉大さもあって、かろうじて現代人にも認識される数少ない旅芸人の一つとなっています。
その事実もまた不思議で心引かれるのです。



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