FC2ブログ
歴史の隙間に埋もれた漂泊の芸能者たちの実像を追いかけています
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

また細かい話なんですが、自分が「昔話とは固定されたものではなく変化するものだ」ということを知った瞬間を覚えています。

子供の頃、ある日曜日の朝。「兼高かおる世界の旅」を見ていた時のこと。ヨーロッパのどこかの国の人形劇を紹介しながら、兼高さんが「シンデレラ」について語りはじめました。

曰く、
「シンデレラを誰が書いたかというと、日本人のほとんどはグリムかアンデルセンだと思っているんですけど、今の日本で知られてるシンデレラの作者は、ペローなんですの」

この話を聞いた瞬間、結構ショックを受けたのを覚えています。ついでに「ペローって誰よ!」という怒りにも似た感情も湧いてきました。
ペローさんには失礼なんですが、外国(=欧米)のおとぎ話を作った人と言えば、グリムかアンデルセンの名前しか聞いたことがなかったので。

兼高さんは、さらにこう続けました。
「そもそも、一口にシンデレラといっても、各地にいろんなパターンのお話があるんですの。日本でおなじみのストーリーは、その中の一つなんですの」

なにしろ30年近く前の記憶なので怪しいのですが、おおよそこんなところだったと思います。

今ちょっと調べた限りでは、シンデレラの類話は500はあるようです。
その中で、
〈魔法使い〉〈カボチャの馬車〉〈ガラスの靴〉
など、おなじみのアイテムが揃うのは、ペローが書いた童話なのです。
グリム版はディテールが微妙に違います。それに少し残酷。

シンデレラは一つじゃない。私が知っている物語は、たくさんあるバージョンの中の一つに過ぎない。
どうやら「昔話」は変化を繰り返すものらしいという事実を知った瞬間でした。


ところで皆さんはシャルル・ペローをご存じでしょうか。書店に並ぶシンデレラの絵本の表紙には、確かに彼の名前があります。その割に、なぜかマイナーな印象です。

シャルル・ペローは17世紀フランスの詩人で童話作家。ルイ14世の側近であり、貴族の娘たちに物語を読み聞かせる役職についていたそうです。そしてペローは古い民話を収集して本にしました。その中の一つにシンデレラがあります。
「眠れる森の美女」や「長靴をはいた猫」もペロー版が有名ですし、ディズニーや東映動画のアニメもぺローが原作になっています。

民話を集めたという点はグリム兄弟と共通します。(アンデルセンは創作童話)
しかし、グリム兄弟が出来るだけ話の原形を残すことを信条としたのと違い、ペローは読者が読みやすいように脚色することもありました。特に女の子が好みそうなロマンチックで可愛らしい味付けが多かったようです。
原形から離れたかもしれません。しかしその味付けが、ペローの作品が現代人にも親しまれる要因になったのではないか。そんな気がしています。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 民俗・民族学へ
にほんブログ村


スポンサーサイト

【2015/06/19 03:32】 | 旅芸人と私
|
文字通りの見切り発車だったとはいえ、自分なりに旅芸人のしっぽの先をつかんだ感覚があってはじめたブログですが、あっという間に、しっぽは私の手をするりとすり抜けていきました。

しかしそれでも、旅芸人の背中が小さく見えている間は、地道に追いかけたいと思います。
亀に並ぶスピードで。

↑なんか偉そうなこと書いてますが、私自身がフィールドワークするわけでなく、先人が積み重ねてきた知識を、掻い摘んで並べ直すだけなんですけどね



追記を閉じる▲

【2015/06/19 02:25】 | 旅芸人と私
|
昔話を調べるきっかけとなった作品というのは、そのものズバリ、“昔話の絵本を書く”という仕事でした。
私は絵は書けませんから、文章を書くのみです。

桃太郎、金太郎、浦島太郎、かぐや姫、鶴の恩返し、牛若丸……

といったスタンダードな昔話を、ひねらずストレートに描くことが求められました。 もちろん、既存の絵本をコピペするような真似は許されません。

そんなわけで、まずは集めた資料と、自分の記憶を頼りに書き始めることになりました。
そして準備が整い、

「むかしむかし あるところに」

と書きかけて、ふと思いました。

「“むかしむかし”って、いつのことだ?」

伝説や神話は、おおよその時代が特定できますが、たいていの昔話は、
「むかしむかし あるところに…」
と語るだけで時代と場所は曖昧です。

素直に考えれば、昔話の舞台となる時代は江戸時代以前でしょう。
ただし、これら昔話も、江戸時代の人々にとってはすでに“遠い昔の話”だったと思われます。

例えば桃太郎は絵草紙(江戸時代の絵本)が出版されていますが、、絵草紙になる遙か前から、各地でいろんなパターンの桃太郎が語られていました。
これは桃太郎に限らないことです。

ということは、昔話の舞台は室町? 鎌倉? 平安?
あるいはもっともっと昔?

江戸時代と平安時代とでは人々の服装も、村や町の景色も、かなり違ったでしょう。さらに同じ日本でも、北と南では、今以上に文化の違いが大きかったと考えられます。

つまり「昔の日本」の姿はひとつじゃない。
現代人が昔話を聞いて思い浮かべる風景と、その話が生まれた場所の実際の風景は、まったく違うものである可能性があります。

それまで当たり前にあって疑問を持たずにいた昔話に、ある種の違和感を覚えたこの時が、自分の中で昔話の存在がふくらんだ瞬間でした。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 民俗・民族学へ
にほんブログ村


【2015/06/01 03:02】 | 旅芸人と私
|
一応、文章を書くことを本業としている人間なので、こんなことを言うのは恥ずかしいのですが、私、活字が苦手です。
本を読むのがとても遅い。読書量も決して多くはない。

そんな私ですが古典文学には興味があり、ほんの少しだけ、勉強していたりします。
子供のころから好きなのは「古事記」。
大人になってかじったのは「平家物語」「平治物語」や「今昔物語」「御伽草子」。
どうやら“軍記物語”や“説話集”と呼ばれるものに惹かれる傾向があります。

そしてある時、これらが当初は本として出版されたのではなく、人が人に語り聞かせ、伝わっていった物語だったと気付きます。
現代の小説とは、そこが大きく違います。

また古典とはちょっと違いますが、「遠野物語」にも心惹かれます。
これも、もととなっているのは、遠野の地で語られてきた昔話や噂話でした。

厳密にいえば例外もありますが、古の物語は、ほとんどが文字ではなく口伝えで受け継がれてきました。
旅芸人が持ち歩いた物語もあったでしょう。
それを後の世の人が、何らかの思いを持って紙に記録したものが、本の形で残っているのです。
これ自体はとても価値あるものですが、紙の上に定着した物語の姿は、それが生まれた時のものとは大きく変わっているはずです。

口から耳へ、耳から口へ。
形があるようでない、おそらく語るごとに変化していった、生き物のような物語。

旅芸人ととも、そんな物語の姿も追いかけていきたいと思います。









【2015/04/12 21:54】 | 旅芸人と私
|
古代から現代へと連なる旅芸人の世界は、あまりに広大です。

彼らは、どこから来て、どこへ行ったのか?
どこで、どんな芸を披露したのか?

私の目には、その一部がおぼろげに見えて来たばかりです。

そんな私が、「旅芸人の歴史」というものを一から語るのは大変難しい。そしておこがましい。
ですので、ここは開き直って、現時点で自分が一番興味をそそられるものから書いていくことにしました。

昔話が発端の一つということもあり、語りの芸を持ち歩いた芸人に惹かれます。
もっと言うと昔話の伝播の過程が、なぜか気になります。

昔話について語られる時、
「おばあさんから孫へ、脈々と受け継がれ……」
というような言い方をされます。

そうして土地毎に受け継がれた物語を【縦糸】とするなら、旅芸人たちが、あるいは宗教者たちが、日本中を旅歩いて広めた物語は【横糸】となるのではないか。
その縦糸と横糸が織り成されて、現代まで伝わる昔話が出来上がったのではないか。

……なんてことを、ぼんやり考えています。


さてさて、芸能史や口承文芸に関する本を読んでいると、いろんな面白いキーワードが出てきます。
その中で、今の私が引っかかるものは下記の3つです。

・説経師  (※「説教」ではなく「説経」)

・声聞師  (※しょうもんじ。「唱門師」とも書く)

・陰陽師  (※安倍清明でおなじみの、あの陰陽師)


この辺から攻めていきたい、と考えております。

追記:
上記3つに「万歳(まんざい)」も加えて考えたいと思います。




追記を閉じる▲

【2015/03/31 14:22】 | 旅芸人と私
|
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。