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歴史の隙間に埋もれた漂泊の芸能者たちの実像を追いかけています
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2020年01月01日 (水) | 編集 |
歴史&民俗学好きの素人による、旅芸人ファンブログです。
見切り発車ではじめてしまいました。

正式な記録は少なく、歴史ドラマの主役になることはなく、教科書にも載っていない。
幻のようだけど確かに存在し、日本の伝統や文化に影響を与えた、道々の者たちを追いかけています。

当面は「陰陽師」「声聞師(唱門師)」「説経師」「万歳師」「祭文語り」を軸に、古代~中世~近世~近代の旅芸人の姿に迫っていく予定です。
その他、勉強しながら思いついたことを、文章がまとまった順に投稿していきます。





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2017年08月27日 (日) | 編集 |
■境界を越えてきた者たち

交通機関が発達していない時代、さまざまな制限もあり、庶民が旅をするのは簡単なことではありませんでした。山村に住む人々であれば、なおさらです。
とはいえ行商に行く者はいましたし、村の代表者が伊勢参りに向かうことはありました。しかしほとんどの人は、生まれた村の中でのみ生きていました。
そうなると得られる情報は限られてきます。江戸以前はテレビもラジオもなく、書物を読むのも庶民には難しいことでした。つまり「外の人間」や「外の文化」に触れる機会は、非常に少なかったわけです。
そんな人々にとって、年に何度か村境を越えてくる旅芸人は、極めて異質な存在でした。


■神の代理人

そもそも旅芸人は何をしに村に来たのでしょうか? 「芸を見せるため」がすべてとは言い切れません。
俳優であり放浪芸の研究者でもあった故・小沢昭一さんは、著書で旅芸人を「神の代理人」と表現しています。

昔の人たちは、新年の始まりに神が来訪し、一年の祝福を与えると信じていました。
やがて人々は神の姿を真似るようになります。祝言を述べ、歌い、舞い、神の代わりに幸福を祈るのです。村人自ら神を演じることもありますが、住む所を定めぬ漂泊民がその役を担うことが多くありました。それが旅芸人の源流の一つだとされています。
もともと芸能者は、ある種の呪術者として「祝うこと」と「祓うこと」を役割としていました。そうした芸能者たちの中で大きな割合を占めていたのが、定住せず各地に芸を運んだ者たちだったのです。万歳・猿まわし・獅子舞・人形まわしなどは、その流れをくむ芸能です。

そのような旅芸人を、村人たちは畏れと蔑みの入り交じった目で見ていたと考えられます。
かつて「芸能人」は憧れのエンターテイナーではありませんでした。神と交信する呪術者であると同時に、農耕社会からはみ出した卑しい者と見られていました。いわゆる「乞食」と同等の扱いを受けていたのです。
江戸時代になると、エンターテイメントとしての芸能が根付きはじめます。それでも旅芸人を含む芸能人の地位が上がることはありませんでした。


■文化の伝播者

境界を越えてやってくる旅芸人は日常をかき乱す存在でした。
風のように現われ、風のように去って行く。
使い古された詩的な表現が似合ってしまう。そんな旅芸人たちですが、訪れた村々に落とし物を残していました。
それは「信仰」と「娯楽」と「情報」です。すべてまとめて「文化」と言い換えることもできるでしょう。

旅芸人が歌にのせて語る物語は、人びとを楽しませました。語りの場では、遠い土地で起きた事件も語られたでしょう。それらの中には昔話や人形浄瑠璃、歌舞伎の種になったものも多くありました。 
例えば西日本で生まれた「桃太郎」の物語が、関東、東北へとディテールを変えながらも伝わっている。それも旅芸人が文化の伝播者だった証拠の一つです。(※桃太郎の起源は諸説あります)
また、各地に伝わる村歌舞伎の中には、旅芸人の影響を受け誕生したものもあります
旅芸人は電波のごとく、全国津々浦々に文化を行き渡らせたのです。

「媒体」を辞書で引くと「情報伝達の仲立ちになるもの」とあります。旅芸人はまさに媒体の役割を果たしています。
旅芸人はメディアだった。新聞に雑誌、ラジオとテレビとインターネットに変わる存在だった言っても、過言ではないかもしれない。
そこが旅芸人のという存在の面白さなのです。


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2017年06月02日 (金) | 編集 |
民俗学者の折口信夫は、著作『雪の島』(昭和2年頃)の中で、声聞師(唱門師)を以下のように評しています。

「唱門師は、後世の演劇・舞踏・声楽の大切な生みの親である。それと共に、陰陽道・神道を山奥・沖の島まで持ち歩いた。」

下級の陰陽師であり芸能者であった声聞師たちは、どんな芸能を行っていたのでしょうか。
時代によって変化がありますが、まずは声聞師たちが京都で活躍したとされる、室町時代を中心に整理してみます。また声聞師は雑芸能者たちを傘下におきましたが、ここでは声聞師自身が演じたとされる芸能を対象とします。
そうして考えたところ、下記の三種の芸能を、代表的なものとしてピックアップできました。

千秋万歳(せんずまんざい)
曲舞(くせまい)
説経節(せっきょうぶし)


名称だけ見ると、現代人には馴染みのない芸能のようです。しかしどこで見たような気もしてくる字面です。これらが具体的にどんな芸能だったか、そして声聞師との関係を、ごく簡単にまとめてみます。


千秋万歳

中世から存在した門付け芸の一種。正月に民家の門口に立ち、家の繁栄を祝って、祝言を述べながら舞う芸能です。後年、略して「万歳」と呼ばれるようになります。
室町時代には、この千秋万歳を声聞師も行い、内裏でやんごとない人々を前に演じるようになりました。その様子が、当時の貴族に日記に記録されています。声聞師による千秋万歳は、正月の風物詩になっていたようです。
ところが安土桃山時代になると、この状況が大きく変わります。陰陽師と、配下の声聞師が、時の権力者・豊臣秀吉の怒りを買い(詳細は不明)、京都を追い出されたのです。
その後、京都に戻った者もいたようですが、多くの声聞師は地方に分散したままになり、結果として「万歳」も日本各地に広まることになります。尾張万歳や三河万歳なども、この流れにあるものとする説があります。
村や町を巡る庶民の芸能としての万歳は、近代まで生き残り続けます。さらに明治から大正にかけて寄席芸としての「万才」に発展し、昭和のはじめに”しゃべくり”が主体の「漫才」へと進化することになりました。


曲舞

南北朝時代から室町時代にかけて流行した「物語を舞う芸能」です。さまざまな物語を、鼓の伴奏で謡い舞いました。白拍子から派生したと考えられ、能や歌舞伎の原型になったともいわれています。「久世舞」とも書き、「舞」や「舞々」とも称されました。
次第に軍記ものを題材にした「幸若舞(こうわかまい)」が主流になり、戦国武将に愛好されるようになります。織田信長が好んだことで知られる「敦盛」も幸若舞の一つです。
――人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり―― 
この一節が有名ですね。
もともとは曲舞の専従者が存在していましたが、室町時代に声聞師も持ち芸の一つに取り入れ、千秋万歳の余興として演じました。この曲舞についても貴族の日記に記録が残っています。


説経節

仏教説話を民衆にわかりやすく伝えた語り芸。単に「説経」とも称されます。一字違いの「説教(せっきょう)」とは兄弟のようでありながら別物です。
初期は「ささら」という楽器を摺りながら語っていましたが、しだいに三味線が使用されるようになりました。
「さんせう太夫(山椒大夫)」「をぐり(小栗判官)」「しんとく丸(信徳丸)」「信太妻」「愛護若」など、現在も名が残る物語も、もとは説経節として語られていたものです。
その特徴は、むごたらしい描写が多いこと。そこには虐げられた最下層の民衆の怨念が反映されていました。
室町期から演じられるようになった説経節は、江戸時代初期に隆盛期を迎えます。しかし江戸中期に大流行した義太夫節(浄瑠璃の一種)に押され、姿を消していきました。
しかしDNAが完全に消滅したわけではありません。幕末から明治にかけて、同じく語り物の「祭文」などとかけ合わせた、新しい芸能に生まれかわります。今も残る「浪曲(浪花節)」です。
声聞師との関係でいえば、説経節を演じたとする資料はあるのですが、いつ頃どの場所で演じたのか詳細はわかりません。といっても、私の知識が追いついていないだけで、答えはどこかにあると思います。
ただ一つ明らかなのは、千秋万歳や曲舞と違い貴族の日記には登場しないことです。もともと最下層の者が演じた芸だったため、高貴な身分の人々からは忌避されたと考えられます。
説経節は、もっぱら道の上で、底辺の人々のために語られる物語でした。


昔は――特に中世以前は、芸能はエンターテイメントではなく、宗教行事の一部でした。下級ながら陰陽師であり仏教や神道と関わりがあった声聞師が、様々な芸能を行なったのも、祈祷や呪術のためです。
しかし、それはそれとして、演者として観客(貴族であれ、民衆であれ)を楽しませたいという思いもあっただろうと、勝手に想像してします。もちろん、そうして楽しませることが稼ぎにも繋がったでしょう。
さらにいえば、万歳も曲舞も説経も、必ずしも声聞師が元祖だったわけではないようです。裏を返せば、それは貪欲に流行の芸能を取り入れた、声聞師のたくましさの現われではないでしょうか。
そして、声聞師が演じたことにより、それぞれの芸能は熟成され、後の世に伝わる道筋ができたような気がしています。
声聞師が「日本の文化」の発展に大きく寄与したことが、もっと見直されることを門外漢ながら願います。

(2017年6月5日 誤字を修正)


主な参考資料:
『古代研究Ⅱ 祝詞の発生』著:折口信夫(中公クラシックス)
『柳田國男全集11』著:柳田國男(ちくま文庫)
『生きていく民俗』著:宮本常一(河出文庫)
『ものがたり 芸能と社会』著:小沢昭一(白水社)
『日本の放浪芸』著:小沢昭一(岩波現代文庫)
『日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能』著:沖浦和光(文春文庫)
『陰陽師の原像 民衆文化の境界を歩く』著:沖浦和光(岩波書店)
『旅芸人がいた風景』著:沖浦和光(文春新書)
『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』著:沖浦和光(文春新書)
『日本の聖と賤』著:野間宏・沖浦和光(河出文庫)
『散所・声聞師・舞々の研究』著:世界人権問題研究センター編(思文閣出版)
『NHKブックス219 さすらい人の芸能史』著:三隅治雄(日本放送出版協会)
『近世陰陽道の研究』著:林涼(吉川弘文館)
『河原ノ者・非人・秀吉』著:服部秀夫(山川出版社)


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